こじんまり?

「こじんまり」と書く人が多いですが正しくは「こぢんまり」です。

このように「じ」と「ぢ」の使い分けで迷うことがありますが、どうすればよいのでしょうか。

結論としては、現代仮名遣いでは、「じ」を使う傾向とされています。
ですので、もう、そのようにするしかないですね。

細かく文法的に考えると、ややこしくなってしまいます。
たとえば土地の地は「ち」ですよね。それが濁れば「ぢ」と考えるのがふつうですが、「地面」「生地」のよみがなは「じめん」「きじ」です。

同じく中(ちゅう)なのに世界中(せかいじゅう)となります。
そうかと思えば、身近(みぢか)、底力(そこぢから)と「ちかい」「ちから」という元の言葉に従っているものもあります。

これでは、分からなくなりますね。理屈を考えたところであまり実用的とは思えません。

実用性を考えると、「ぢ」と表記されるものを憶えて、あとは、だいたい「じ」と考えればよいのではないでしょうか。
その代表的なものが「こぢんまり」ですかね。「ちんまり」から来ているので当然ですが、「こじんまり」と間違いやすい言葉です。

あとは上にも書いた、間近(まぢか)、目力(めぢから)、浅知恵(あさぢえ)など、「ぢ」と表記するものがありますので、それを押さえて置けば。

以前、マンガ「YAWARA!」で柔のおじいちゃんのセリフが「~なのじゃ」でなく「~なのぢゃ」と常に書かれていて、思わずニンマリしてしまいましたが、この現代仮名遣いという決め事は、けっこう窮屈なのかもしれませんね。 

袖摺り合うも……

ようやく暖かくなった、ある日のお昼過ぎのことでした。テレビの散歩番組をボーっと見ていると、タレントさんが「袖摺り合うもタショウの縁、といいますからねえ」とつぶやいていました。

ここで、私は「おや?」と思ったわけです。それは、「タショウ」の言い方が「多少」と言っているように聞こえたからです。もしそうだとすれば、これは誤用です。正しくは「他生」であり、アクセントが最初の「タ」に来たほうが「多少」と区別しやすいのです。

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言いそこ間違い

 

誤用についてですが、このタイトル自体がまちがいですね。これは「言い損ない」と「言い間違い」を混同したものです。すでに古典的なギャグになっています。鳳啓助さんのものですね。

ほかにも、アホの坂田こと坂田利夫氏が言ったとされる「ふしだらな妹ですが」(「ふつつかな」をカン違いしたもの)などもあります、さすがコメディアンは言葉遊びが巧みです。 

 重複として「腰が腰痛でね」など、ギャグとしては笑えますが、これを私たちが本として書いてしまうと、恥ずかしいですよね。とても笑えません。

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不適切な言葉

誤用ではありませんが、できるだけ使わないほうが好ましいとされる言葉があります。それは使うと不適切に当たるという言葉です。

 たとえば、スチュワーデス。かつては略してスッチーなどとも言われていましたが、今は使われません。CA(キャビン・アテンダント 客室乗務員)と呼ぶようになっています。

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慣用句の間違い

間違っている言葉、慣用句などを正しいと思い込んでしまう。これは誰にでもあることです。それは年月が経つほど、強化され、固まってしまいます。

たとえば私が編集を担当したある方ですが、「流れに棹さす」ということわざを使っていたのですが、これを「物事の流れを止める」という意味で用いていたのです。

これでは意味が真逆になります。舟の船頭さんが、流れの中に棹をさして、舟をスピードアップさせるのですから、物事がよりスムーズになるというのが本来の意味なのです。この間違いが生まれた原因は、恐らく「水を差す」という言葉と混同して、ネガティブなイメージを持ってしまったのだと思われます。一度そのイメージを沁み込ませると、なかなか変えることは難しいです。たぶん何十年という単位の長さで思い込んでしまうしょう。

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