今朝付の各紙で、2019年元日から新元号になるということがいっせいに発表されましたね。
昨年の天皇陛下の退位に関する「おことば」を受けてのもので、平成は30年で幕を閉じることになります。
決して健康とはいえない中での、あと2年の執務はたいへんでしょうが、がんばっていただきたいものです。
しかし、この方式はメリットもありますね。
大正から昭和に変わるときは12月末だったので、昭和元年はわずか一週間だけでした。
昭和から平成の改元のときも、1月はじめだったので昭和64年は一週間で終わっています。
これではけっこう混乱が生じますよね。
その点、生前退位は計画的に進められます。
このまま順調に進めば来年の12月末に退位となりますが、新元号の発表はカレンダーやシステム変更などもあるので夏ぐらいになるようです。
さて、『日本人として知っておきたい 日本語150の秘密』からの続きです。
今では、関東・関西という呼び方はあたりまえですが、関西はいつできたのか? という話です。
実は鎌倉時代まで、関西ということばはありませんでした。
関東だけでした。
なぜなら、それまでの中央政権は奈良・京都に置かれていました。
そこが日本の中心ですから、特にその地域を呼ぶ名称は必要なかったのです。
それが平安末期から、東国の動きが活発になり、承久の乱のあと、六波羅探題の創設など、西の朝廷と対抗する鎌倉幕府の土台が作られるようになりました。
そこで、京都側から「関東」と呼ばれていた鎌倉の人々が西国を「関西」と呼ぶようになったわけです。
関東の自立によって、関西が生まれたわけです。