校正恐るべし

映画監督の鈴木清順氏が亡くなりました。

 

監督作品は数多いですが、私はやはり日活時代のものが好きでしたね。

 

「けんかえれじい」は青春映画の傑作で、高橋英樹がかっこよかったです。

これはどなたにでもお勧めできます。

 

あとはやくざ映画になりますが「関東無宿」「刺青一代」「東京流れ者」がすばらしいです。

 

そして清順美学の集大成といえるのが「殺しの烙印」です。

「わけのわからないものを作りやがって」という理由で、日活を解雇された作品です。

 

ひとことでいえば、日本映画でもどこの映画でもない、清順映画というしかない作品です。

 

すでに海外でも評価が高いですが、これから先、より世界から注目を浴びる監督だと思います。

 

同じ新聞のお悔やみ欄にもうひとり惜しみたい名前がありました。

ラリー・コリエルというギタリストです。

 

バイブ奏者のゲイリー・バートンに見出された人で、ジャズとロックを融合させたスタイルで、一世を風靡しました。

サックス奏者のスティーブ・マーカスと協演したアルバムはびっしり聞いていました。

 

若い頃リスペクトしていた人の訃報に接するたびに、自分ももうすぐ消えていくのだということを素直に感じますね。

 

 

さて、またまた誤植の話です。

『誤植読本』によく出てくることばというか駄洒落が「校正恐るべし」です。

 

今日も「校正恐るべし」という事態は連日各所で勃発していますが、これはもはや死語ですね。

元の「後生畏るべし」が知られてないですから。

「やっぱ、若いやつはすごいわ」というような意味です。

 

ところで以前と現在では誤植のパターンがちがうと思います。

昔は見た目から、似たような字とまちがえるケースが多いです。

 

いわゆる字面(じづら)です。

 

原稿は手書きの時代ですから、きれいで読みやすい字ばかりとはかぎりません。

 

その有名な例がベストセラー小説『青い山脈』の「恋しい恋しい~」が「変しい変しい~」となってしまったという話です。

 

いまは、読みからの変換ミスが誤植の基本といえます。

 

たとえば『屍の街』という小説があります。

大田洋子による原爆文学の秀作といわれている作品です。

 

いまなら誤植は『死の街』となる可能性が考えられます。

これが昔だと『屁の街』になっていた例があったそうです。

 

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