「苦い指」と「若い指」

埼玉県にあるアスクルの倉庫の火災がえらいことになっていますね。

今日で発生して5日目ですがまだ消えません。

 

倉庫内の温度が500度ぐらいになっているので、消防が中に入るのは危険な状況が続いているようです。

 

アスクルの社名は「(注文すると)明日来る」から名づけられたので、これでは関東地方の発注元は困ってしまいます。

 

とにかく鎮火しないことには話になりませんが、このネット通販時代に大変なことが起きたといえます。

 

ほかにも現代の物流を支えるこうした巨大倉庫がたくさんあるからです。

出火原因を含めて、倉庫火災のリスクマネジメントを検証する必要があるでしょう。

 

 

さて、『誤植読本』から、誤植にまつわる話です。

 

誤植も時として効用があります。

特に散文に比べて詩の場合にそういう例が多いようです。

 

やはり詩に用いることばはインスピレーションで決まるので、たとえ誤植でもイメージが合えばOKということになります。

 

大岡信がマリリン・モンローを追悼して書いた詩の中に「すべての涙もろい国は」という1行があります。

 

実は元の原稿ではここは「すべての涙もろい口は」だったのです。

原稿手書きの時代は「国」の省略形で「口」を使うこともあるのでそうなったのかもしれません。

 

ゲラ刷りを見た大岡は「口」が「国」となっていたので、すぐに訂正しようとしましたが、「待てよ、国とした方が面白い」と気づき、思いとどまったとのことです。

 

こういうこともあるのですね。

 

この場合は、まだ直しが可能な段階での誤植ですが、長田弘の場合はすでに印刷物になってしまいました。

 

「涙が洗ったきみやぼくの苦い指は」と書いたものが「涙が洗ったきみやぼくの若い指は」と載っていたのです。

 

あわてて長田は編集部に訂正を申し入れ、友人にも説明しましたが、どの友人も「『若い指』のほうがいいよ」というのでした。

 

それで訂正をあきらめ、その後、詩集や全集に収めたときも誤植のままを通したそうです。

 

誤植は詩人の魂をも惑わせるのです。

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