リオ五輪は、開会式の前に、すでにサッカーが始まっていますね。
日本は明日5日午前(日本時間)にナイジェリアと対戦予定ですが、まだ、ナイジェリアチームはアメリカにいるらしいです。
なんでも、飛行機の都合とかで、いや、日本だったら大慌てでしょうが、ナイジェリアの選手たちがリラックスした様子を見て、感心してしまいました。
やはり、国情、国民性のちがいなのでしょうか。
もちろん、日本を応援するつもりですが、ぎりぎり到着で、コンディション最悪なナイジェリア・チームの闘いにもエールを送りたいですね。
さて『文化庁国語課の勘違いしやすい日本語』(幻冬舎)からの話の続きです。
慣用句などを、本来の意味とちがう使い方をしている例は、怖いくらいありますね。
まずは「割愛する」という言葉。
「時間がないので、ここは割愛させていただきます」
というような使い方をしている方が多いと思います。
不用な部分なので省略するという意味で。
ところが、本来の意味は「惜しいと思っているものをやむなく捨てる」なのです。
割愛の愛は、愛着の愛なのです。
愛を割るのですから、いかに惜しいかというニュアンスがあります。
現在の使われ方はその大前提が抜けちゃっています。ちょっと安直になってますね。
知っておいたほうがよいでしょう。
もうひとつ、これは、時と場合によっては非常にまずいことになりそうな言葉です。
「役不足」
「今回、私などは役不足でして、申しわけありません」
というような使い方をしていませんか?
謙遜というか、お役に立てないかも、というニュアンスで。
たしかに「役不足」と「お役に立てない」は類似している気がします。
役不足とは「私の力量からすれば、こんな役では足りんぞ。役が軽すぎるぞ」というのが正しい意味なのです。
私が足りないのではなく、役のほうが足りないのです。
もし、相手が、本来の意味を知っている人であれば、かなり恥ずかしいですよね。
場合によっては、激怒されるかもしれません。
ですので、誰かの仕事を労うときに「今回は役不足で、申しわけありませんでした」というふうに使うわけですが、その相手が本来の意味として受け取ってくれるかは不明です。
役不足は危険な言葉なので、避けたほうがいいかもしれません。