今週末からいよいよリオ五輪が始まりますが、国内では甲子園も熱くなります。
現在、参加校の練習が行われていますが、大分高校の女子マネが15分でグラウンドから退場させられたというニュースが出ていました。
ノックを手伝うのは男子のみという規定に準じるからという理由らしいですが、女性差別という声も上がっています。
硬球を扱うのは危険なので、事故防止という観点からのルールなのでしょうが、件の女子マネは、1年からノックを手伝っていて、監督もその努力を認めてやりたかったとのこと。
そういう場合の特例を設けてもよいのではないでしょうか。ノック補助の検定をして、合格した女子はOKということなら、問題ないと思いますが。
さて、昨日取り上げた『文化庁国語課の勘違いしやすい日本語』(幻冬舎)ですが、「まだ、へえーと思うようなのがある」と書きましたが、へえー、どころか、ウゲーといいたくなるようなものがありました。
なんか、読むのが怖くなりますね。
まず、昨日の「噴飯もの」のような誤用で、「憮然」という言葉にぶつかりました。
憮然というと、ムッとした表情を思い浮かべますよね。
釈然としないというか、そういう感情だと思います。
でも、本来の意味は、失望してぼんやりする、呆然と同じなのです。
やはり「ブゼン」という語感が影響しているのでしょうか。
憮の字も、りっしんべんに無ですから、なんとなく「ムッ」を連想してしまうのかな。
もう、憮然は体に染みついているので、なかなか抜けませんね。
それから「うがった見方をする」という言葉。
これは、物事を変則的に見るというか、斜めから見るというか、ちょっとひねくれた見方だと思っていました。
ところが、本来の意味は「物事の本質を捉えて、鋭く見る」ことなのです。
意味としては、真逆に近いですね。
穿(うが)つ、とは穴を掘ることですから、物事を掘り下げるので、なるほどかと。
この本にも書いてありますが、どうやら「うがち過ぎ」から、意味がずれていったようですね。
地面も掘りすぎると、ブラジルに出てしまいますからね。
物事も掘り下げすぎると、迷走してとんでもない方向にいってしまいます。
それが「うがった見方」にまで、浸透してしまったのでしょう。
それにしても、知らず知らずのうちの誤用って、けっこうあるんで、憮然としてしまいますね。