あらたしい気持ちで

昨日小田急線で痛ましい事故が起こりました。

柿生駅のホームから乗客2人が手をつないで飛び込み、亡くなったというのです。

 

そのニュースを聞いたとき、女子高生の二人連れを想像しましたが、今朝の新聞を見て、70代と90代の姉妹だとわかりました。

 

そのうちの一人は杖をついていたそうです。

 

今のところ詳細は不明ですが、およその想像はつきます。

この老姉妹はおそらく健康、困窮などの不安を抱えていて、先行きを悲観したのでしょう。

 

こういう事故に接すると何とかならなかったものか、と暗澹たる気持ちになります。

 

 

さて、『日本語の謎を解く』から誤用による言語変化の巻です。

 

古い時代に意味が変わってしまったものは、誤用の痕跡が残っていないので、現在では本来の意味はもう通じなくなっています。

 

たとえば「あからさま」はふつうに「明らかに」「はっきり」「露骨に」という意味で使われていますが、本来は「ちょっとの間」という意味でした。

 

「あから」のもとの「あかる」という言葉は古文では「離れる」という意味なので、「少しの間」でした。

それが「あから」と「明らか」が混同されて、現在の意味になってしまったのです。

 

同じく混同されたできた言葉が「新しい」です。

いまは「あたらしい」と読みますが本来は「あらたしい」と読みます。

 

「新(あら)たなきもちで」の「あらた」ですから。

古語の「あたらし」は「もったいない」という意味でした。

 

「あらたし」と「あたらし」は似ているので混同されて、いつのまにか変わってしまったのです。

 

誤用も、し続ければそのうち正しくなるということです。

「継続は力なり」です。

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