リオ五輪が終わって、ちょっと放心状態ですが、メディアでは各紙総括をしていますね。
それぞれの記者が、マイベストシーンを語っています。
日本選手団に関して、私が一番印象に残ったのは、男子競歩50キロの銅メダル失格からの復活劇でした。
これはよほど迅速かつ論理的な抗議をしないと、なかなかひっくり返らないと思います。
日本陸連の担当者はよくやったと思います。
何しろ、日本陸上のメダルはこれと、最終日の400mリレーの銀メダルだけですから。
失格騒動の時点では、唯一のメダルだったわけですから、必死だったのでしょう。
さて、以前、韓国の人名の読みについて書きました。
その際、昔は朴(ぼく)大統領、と日本語読みだったのが、その娘である現大統領は朴(パク)大統領、と原語の発音で呼ばれていることについて、なんとなくそうなったような書き方をしましたが、実はそうではありませんでした。
8月17日付の朝日新聞に、日本語読みを韓国・朝鮮語読みに変えるために闘った、在日1世の牧師の話が出ていました。
その人は崔昌華(チォエ・チャンホア)牧師で、1975年にNHKを相手取り「サイ・ショウカではなく、チォエ・チャンホアと氏名を正しく呼ぶべき」と謝罪と損害賠償(1円です)を求めて提訴しました。
そのきっかけとなったのが、68年2月に起きた「金嬉老事件」です。
日本語読みでは金嬉老(きんきろう)と呼ばれていたキム・ヒロ元受刑者が、寸又峡温泉の旅館に立てこもった際に、崔牧師は夜を徹して説得にあたり、差別問題に取り組むことを約束したのです。
氏名の日本語読みに対する提訴以降も、80年代には、外国人登録証の指紋押捺拒否など、差別を世に問い、在日の人たちの参政権運動に取り組んだとのことです。
こうした人たちの努力によって、現在は在日を含めた韓国の人名は韓国語読みが当たり前になっています。
それを、私はなんとなくそうなったように書いてしまいました。恥ずかしい限りです。
韓国のゴルフ、野球などのスポーツ選手や俳優の名前に「李」という字があっても、「り、りー」ではなく「イ」と自然に読める時代になったのは、すばらしいことですね。