喝を入れる

日本には奨学金制度というものがあります。
これは経済的理由で大学進学を断念する学生のための制度ですが、一時期この奨学金を返さない人が多いことが問題となりました。

それについて「けしからん」という声もありましたが、元々経済的余裕がないのですから、社会人になったからといってそう簡単に返せるものでもありません。

そうした事情を踏まえて、文科省ではこのたび貸与型でなく、給付型奨学金制度の内容を決めたようです。

それによると、私立か公立か、自宅か下宿かなどの条件に応じて月2万~4万円というもので、これだけでは、まだ十分とはいえませんが、これから拡充されることを期待したいものです。

さて「日本語課外講座」からの続きです。

最初の例文です。

「いやあ、去年は絶好調だったT選手ですが、今年はちょっと精彩を欠いていますね。ここはひとつ、張本さんに喝を入れてもらってはどうでしょうか」

毎週日曜朝の野球解説者・張本氏の「喝」はけっこうニュースネタになってますよね。
そうすると、これで問題ないのでしょうか。

「喝を入れる」のではなく「活を入れる」が正しいです。
生き返らせる、活気づけるという意味です。

「喝」は禅宗で叱咤激励するときの叫び声ですね。
「喝!」です。

いま「喝」が優勢なので、つい「活」と混同しがちですね。

では次です。

「もう、考えられるすべての手を打った。これでうまく行かないのなら万事窮すだ」

「窮す」は行き詰まってしまう意味ですからこれでよさそうですが、やはり違います。
正しくは「万事休す」です。

中国の故事が元なので、しかたないですね。
「休す」は休(やす)むという意味ではなくて、「休(や)む」、終わるという意味です。

昔の中国で、小国の君主が年取ってできた10番目の子を溺愛し、その様子を見た人々が「こりゃダメだ。万事休す」と嘆いたところ、案の定、世を継いだ息子が国を滅ぼしたという故事から来ています。

元の意味は「これではどうしようもない」「こりゃダメだ」ですが、現在は「最善を尽くしてみたものの~」と、少し意味がグレードアップしてますね。

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