ムッシュかまやつさんが亡くなりましたね。
また寂しくなりました。
私は「かまやつひろし」だと思っていましたが、1989年から「ムッシュかまやつ」として活動していたんですね。
奥様も2月に亡くなられていたとのことで、奇しくもあとを追う形で旅立たれました。
GSブームのときは、スパイダースはものすごい人気でしたからね。
主演映画が5本も作られています。
松任谷由美さんが「風のように生きる人」とコメントしていましたが、その通り飄々とした感じの音楽家でした。
これからも「我が良き友よ」「あの時君は若かった」などのメロディが私たちの世界を風のように流れていく気がします。
さて、清水幾太郎『論文の書き方』から、今回は「文章は建築物である」の巻です。
「文章は空間の時間化」ともいっています。
ちょっとなんのことだかわかりません。
これは、前回も書いたように「あるがままに」「見たままに」書けばよいというものではないということです。
「あるがまま」は一見、自然体でよさそうですが、それだと、商店街を歩くような文になってしまいます。
「まず八百屋があって、その隣に魚屋があって、その隣には金物屋があって……」
とだらだら続くわけです。
で、文章は建物である、「つくりもの」である、となります。
「つくりもの」といっても、あることないこと書けということではありません。
家を建てるときに、いきなり瓦を地面に置いちゃったりしてないか?
そのあたりに気をつけるということです。
それには序、つまり書き出しの部分は軽めのほうがよいと思います。
たとえば「実に面白い話があります」などと、最初からハードルを上げると、あとで苦しくなることがあります。
それから、まえがきで、ついつい熱が入りすぎて、オチの部分まで書いちゃうとか。
その本の肝をまえがきで全部出しちゃうのは、まずいです。
実際にそういう例が多いです。
書いている本人は気づかないだけで。
そのうちどんどん前書きが膨らんできたりします。
自分の文章を客観的に読み直せればよいのですが、これがなかなかできないんですね。