少し前になりますが、地球外生命体の存在について画期的なニュースがありました。
地球から約40光年の距離にある恒星の周りを、地球に似た7つの惑星が回っているということがNASAなどの研究チームによって確認されたのです。
7つとも大きさは地球ぐらいで、ほとんどの星が岩石でできているそうです。
そしてそのうちの3つが、地表に海があって生命の存在の可能性があるということです。
研究者は「地球外生命体の発見は〈もし〉から〈いつ〉の段階になった」と説明しています。
ただ、40光年の距離は途方もなく遠いですからね、生命体の確認までどれくらいかかるかはわかりませんが、宇宙人発見の夢は少しずつ近くなっているという今回の発表でした。
さて清水幾太郎の『論文の書き方』から、今回は造語の話です。
造語といっても、現在、日々生まれているようなことばではありません。
社会の根本をなすようなことばです。
著者の清水は戦争中に徴用されてビルマのラングーンに1年ばかりいました。
そこで現地の知識人と話したときに「日本では、どんな言語で教育が行われているのか」
と尋ねられたのです。
「いや、日本語だが……」と答えると、「そういうことが可能なのか?」と不思議そうな顔をされたそうです。
ビルマは長くイギリスの植民地であったため、ちょっと抽象的な、学問に使えるような言葉がなかったのです。
それで教育は英語で行われていたのです。
日本では、学者が苦労して抽象的なことばを作り、それが今でも使われています。
そのおかげで日本の教育は発展したのです。
たとえば、哲学用語の基礎は西周(にしあまね)によって作られました。
もちろん翻訳ですが、創造したようなものです。
「哲学」ということばがまずそうです。
Philosophyを哲学としたのです。
「先天」「後天」「論理学」「心理学」「倫理学」「現象」「主観」「客観」なども慶応の末年から明治11年ぐらいまでに作っちゃいました。
すべて漢字ですが、漢語に頼るのはよくないと、やめようとしたこともあるようです。
たとえば「普通名詞」を「通える名」、「固有名詞」を「専らにする名」としたこともあるけど、やっぱりしっくり来ないのでやめたとか。
学者の力はすごいですよね。
西周はもっとリスペクトされてもよいと思いました。