日本語は外国語?

先の選挙で18歳以上の選挙権が実施されましたが、それに合わせた「18歳で成人」という民法改正法案はどうなっているのでしょうか。

 

どうも、いま開かれている国会では取り上げられず、先送りになるようです。

「共謀罪」法案の成立が最優先されるので、そこまで手が回らないというのが実情です。

 

いずれにしても2021年の施行には間に合わせるという話です。

 

この改正で何が変わるかというと、18歳になると親の承諾なしで高額商品の契約が可能になることと、婚姻が自由になることが挙げられています。

 

それと、現在女性は16歳で婚姻ができるのですが、それを18歳に引き上げるように改正されます。

 

現在の法律では、16歳の女性と交際すると淫行で捕まりますが、結婚はOKなのです。

それはちょっとおかしいということで変わるのでしょうか。

 

あと気になるのは、酒・タバコの解禁と少年法の適用年齢ですが、これはまだ流動的のようです。

賛否両論で揉めるのは必至です。

 

酒・タバコはいまのまま20歳までダメにしておけば、成人式が少しは平穏になるのではと思うのですが。

 

 

さて清水幾太郎の著書から「知的散文の書き方」の続きです。

 

今回のテーマは「日本語を外国語と思え」です。

どういう意味なのでしょうか。

 

日本人なら誰でも、日本語の読み書きはできると思いますが、それに甘えるなということです。

 

教育の普及率は日本は高いと思います。

外国の推理小説を読んでいると、「彼(彼女)はなぜああいうことをしたのか?」という謎解きに、「字が読めなかったから」という答えがときどき出てきます。

 

日本の小説でそういうシーンを読んでもピンとこないのではないでしょうか。

 

それゆえに「見たままに書けばよい」「ありのままに書けばよい」と思ってしまいがちなのはよくないと、著者は言っているのです。

 

外国語を学ぶ感じで、新鮮な気持ちで書く、といってもよいと思います。

実際に外国語を学ぶことも、文章上達に役に立つといっています。

 

 

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