桜だけが花見の花

いや、小池都知事は、嵐を呼ぶ女といいたいくらい、次から次と問題が出てきますね。

現在、豊洲市場の盛り土問題でたいへんなことになっています。
本当に移転できるのでしょうか。

オリンピックのための道路建設も絡んでいるので、これからさらに混沌としてくるでしょうね。

ちなみに、今回の問題となっっている盛り土は「もりど」と読まれていますね。
盛り土(つち)かと思っていましたが、建築業界では盛り土(ど)が主流のようです。

これは、いわゆる湯桶読みですね。

あと、小池さんは「都職員を粛正する」とおっしゃっていましたが、この粛正も、粛清と書いてしまうと物騒なことになります。

粛正は「綱紀を粛正する」のように、厳しく正しくする、という意味ですが、粛清となると、追放、あるいは北朝鮮のような国では処刑と同様な意味になってしまいます。
怖いですよね。

さて、今回は提喩法についての話です。

提喩とは、ポピュラー(上位)なものをピンポイント(下位)の言葉で表す、あるいはその逆にピンポイント(下位)なものをポピュラー(上位)な言葉で表すことです。

たとえば、花見といえば、その花イコール桜です。
ほかの種類の花には、花見という言葉は使いません。

英語でも、漆をjapan,陶磁器をchinaと表現したりします。

それから、鳥肉といえば、ニワトリの肉ですよね。

これらは、すべてピンポイント(下位)をポピュラー(上位)で表しています。

逆にポピュラー(上位)をピンポイント(下位)で表す提喩もあります。

たとえば陶器のことを瀬戸物といいますが、瀬戸とは、愛知県瀬戸市のことですからこれは提喩になっていますね。

また、その地域での美人のことを「~小町」などと呼んだりしますが、小町とは小野小町のことです。

体の部分なども提喩にはよく使われます。
「手が足りない」の手は、労働力を指します。
「足がない」の足は移動手段、車のことを指します。

私たちはけっこうなにげに修辞学上の提喩法を使っているのですね。

 

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