文章は人間である

「フランク三浦」が勝ちましたね。

 

なんのことかというと、スイスの高級ブランド時計「フランク・ミューラー」のパロディー商品「フランク三浦」を商標登録できるかどうかの争いで、決着がついたのです。

 

最高裁ですから、これで確定です。

理由としては「外観で明確に区別ができる」「『三浦』の時計は5000円前後、100万円を超える高級時計と混同するとは考えられない」というもの。

 

ミュラー側の無効申し立てに、特許庁が「ミュラーへのただ乗り」として無効とし、「三浦」側が提訴、知財高裁判決で、上記のような理由でOKとなり、それが今回確定したわけです。

 

ちょっと意外な感じもしますが。

ただし、これから「フランク・ミューラー」という名前に対する著作権・意匠権の問題が生じる可能性もあります。

 

これが通るなら似たような、まぎらわしい商標登録をする人が増えるのでは、とよけいなことを考えてしまいました。

 

 

さて清水幾太郎『論文の書き方』から「文章は思想である」の巻です。

 

思想と書くと、むずかしそうですが「文章は人間である」と書けばわかりやすいかもしれません。

 

清水はこの本を書くに当たって、「良い文章の例を豊富に挙げることができると思っていたが、実行できなかった」と告白しています。

 

それは、形だけよい文章というのは存在しないからです。

文章とそれを書いた人の思想、人間性が融け合っているためです。

 

そこでニーチェのことばが登場します。

「文体の改善とは思想の改善のことである」

 

清水は「文章を作るのは、思想を作ることであり、人間を作ることである」と結んでいます。

 

 

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