だいぶ出遅れましたが、皆さま、本年もよろしくお願いいたします。
1月3日は、初詣に日枝神社へ行ってきました。
そのあと、なぜか谷中七福神巡りをするという強行軍でした。
だいたい神社やお寺は夕方5時で終わりです。
田端に着いたのが2時過ぎくらいでしょうか、そこから上野の弁天堂まで踏破して、ぎりぎり間に合いました。
もともとは方向音痴だったのですが、最近は、地図を手にすると不思議とまちがえません。
まあ、いざとなれば、誰かに聞けばよいわけですから。
心に余裕が生まれるのでしょう。
以前は、誰にも聞かずに行こうとするから迷っていたのかもしれません。
ただし、時間制限があったので、一心不乱に歩いただけで、下町の風情をあまり楽しめなかったのが心残りでした。
さて、去年からのつづき「悪文をさけるための五十か条」から文の組み立てに関するものです。
「受身形をなるべく少なくする」
その例文です。
「軍縮は突然もたらされるものではなく、一歩一歩実現されねばならない。インドは即時停止に賛成であり、これは今度の声明にもうたわれている」
やはり受身が多いと、積極性が感じられませんね。
「一歩一歩実現していかなければならない」のほうが、実現に近づく感じがします。
これは、かなり前の新聞からの引用ですが、こうしたあいまいな論調は、現代のマスコミにも通ずるところがあります。
主義出張をはっきりさせると「偏向報道」などと横やりが入るのが現代です。
どうしても、婉曲かつ無難な表現になります。
考えてみれば、いま、受身形が非常に多いですよね。
受身形が、一種のマナーというか、謙譲の表現として定着しつつあります。
たとえば、先日も、
「このたび私たちは入籍させていただきました」
というあるタレントさんの結婚の報告を目にしました。
ふつうに「入籍しちゃいました」のほうが彼らしいのに、と思ったのは私だけでしょうか。
要するに、今は悪文が大手を振って歩いている状態なのです。
安心して悪文を使える時代です。
それに異を唱えると変人扱いされかねませんので私の話もそのつもりで読んだほうがよいかもしれません。